猫の就活生


朝起きて、異変を感じるまでそんなに時間はかからなかった。
ベッドの上で、パジャマを着ていたはずなのに、俺はいつのまにかパジャマも下着も脱ぎ捨てていた。
今まで、こんなことはなかったんだけどな。
寝ぞうはそんなにいい方ではないけど、服を脱ぎ捨てる癖はないはずだ。

「……ん?」

ふと、自分の手を見てみると、何か猫みたいな手をしていた。
声もいつもの自分の声と違うような? それに、ベッドもいつもより広く高く感じる。
俺はベッドから降り(何か、いつもより軽やかに降りられたぞ)窓のところに行き、自分を映した。
ちょうど、シャッターが閉まっていたから、自分を映すことが出来た。

「なっ!?」

窓に映した俺の姿を見たとき、あまりの驚きに、口から心臓が飛び出すかと思った。
だって、窓にはいつもの俺が映っていないんだ。

「お、俺が猫になってる!?」

窓に映ったのは、キジトラの猫。尻尾とか長くて。
確かに、俺は猫になりたいと思ったが、実際にこんなことが起きるなんて!! そんなのアリなのか!? いや、ナシだろう!  こんなの非現実的すぎる!

「君、猫になりたいって思ったでしょ? その望みをボクが叶えてあげたのー」

突然、ベッドの方から子供の高い声がした。俺でも、家族の誰かでもない声。
幽霊とかは、信じていないが、何か、ちょっと怖くなって、おそるおそるベッドの方を見た。
そしたら、小学生くらいの男の子が俺のベッドの上に座っていた。だけど、普通の子じゃない。
いくら、ここが一階だからって、普通の子は人の家の中に入ってこない。 うちは、門もあるし、その前には駐車場があって家は道路に面してない。だから、間違えて入ったなんていうのはありえない。
大体、シャッターも閉まっているし。それに、こいつ、猫の耳とシッポがはえている。 服だって、今時珍しい和服で、下駄なんか履いている。
下駄を脱げと言いたいところだが、そのことからも、こいつは人間じゃないってわかった。
そんなものが、本当にいるのかは幽霊と同様信じていないが、こいつは絶対人間じゃない。 信じていないが、目の前に現れたら認めるしかない。
だが、俺は何も悪いことはしてないぞ!? 何で、こんなオカシナ目に遭わなければいけないんだ!? まさか、呪い!?  だったら、なんの呪いだ!? 猫だって虐めてないぞ。

「お、お前、何だ!?」

びっくりと怯えた感じの声で、俺が問うと、そいつはにこっと笑った。

「ボクはタマ。猫の神様。君が猫になりたいって思ったから、猫にしてあげたの」

タマと名乗った奇妙な奴は、そう楽しそうにしていた。
だけど、俺には意味がわからない。

「猫にしてあげただって!? ふざけんな!! あれは、願望であって、 そんなことは絶対にないって知っているから言っているんだよ! いわゆる現・実・逃・避! 今すぐ、人間に戻せ!!」

俺は、そう怒鳴ったが、こんな可愛らしい猫の姿で怒っても全然怖くない。
て、いうか、この姿が親父に見られたらまずい。親父は極度の猫嫌いなんだ。
蹴飛ばされるだけじゃ、すまないぞ。

「もうなっちゃったんだから、しょうがないじゃーん? なるようにしか、ならないじゃーん。 それに、こんな機会めったにないんだから、猫の生活楽しんじゃえばいいじゃん。 人間には、心から人間に戻りたいって思えば、戻れるからさー」

タマは相変わらず楽しそうに笑っている。神様って、皆こんな感じなのか? 
だけど、タマの言い分も一理あるかもしれない。猫になるなんて、普通じゃまずあり得ない。 だったら、しばらくの間は猫の生活を楽しむのもいいんじゃないのか? 
ずっと猫になってみたいとは思っていたし。
そうだよ。猫みたいにたまには、気楽に暮らしたっていいじゃないか! 
今の俺には、こうゆう時間も必要なのかもしれない。

「よし! じゃあ、少しの間、猫になって息抜きしちゃおうかな!」

人生はなるようにしかならない。人間に戻るのは、もうちょっとたってからだっていいじゃないか。

「そうそう。そうこなきゃ。で、君はこれからどうするの?」
「そうだなぁ。とりあえず、日なたで寝る!」
「日なたはいいよねー。頑張ってね」

タマはそう言いながら、シャッターと窓を開け、俺は軽やかに庭に降りた。
さて、猫の生活を楽しみますか。うーん、日なたもいいけど、車の下とかにも入ってみたい気分。
とりあえず、うちの車の下にでも入ってみよう。ほうほう、車の下はこうなっているのか。
車の下から出た俺は、日のあたるところを見つけ、ごろんと寝っ転がった。
うん、やっぱり日なたは気持ちがいいな。



猫になって、困ることがあるとすれば、食べ物だ。
さすがに盗むわけにも、ゴミをあさるわけにもいかないし。ましてや、キャットフードは食べたくない。
初めは良かったけど、寝っ転がっていると、段々空腹を感じるようになってきた。
だから、俺は結局また家の中に戻った。きっと、俺の朝ごはんがあるはず。親父たちに見つからなければ大丈夫だ、きっと。
てか、俺。今日はずいぶん早く目が覚めちゃったんだな。

庭に入ってみると、俺の部屋の窓が開いていたから(誰も閉めていないだけか?)、そこから入った。
それと、同時に誰かがものすごい勢いで階段をのぼっていく音がした。

「ちょっと! お父さん! 幸大がどこにもいないの! シャッターも窓も開いているし、どこかに行っちゃったみたいなの!」

リビングで、母さんの慌てている声がした。俺は、足音を立てずに、階段を上り、廊下に置いてある椅子の下に隠れた。
ちょうど、母さんの顔が見える位置だ。

「コンビニでも行っているんじゃないのー? もしくは、友達の家とかー」
「で、でもケータイも置いてあって、パジャマも下着も脱ぎ散らかして……」

お気楽そうな姉さんと心配している母さん。

「幸大がパジャマを脱ぎ散らかすのはいつものことじゃん。下着も新しいのに変えたんだよ。 汚したかなんかして。ケータイは忘れて行った、だね」
「お姉ちゃんの言う通りだ。どこかに行っているだけかもしれないから、明日まで待ってみよう。 だから、そんなに騒ぐのもやめなさい」

姉さんがお気楽そうに分析した後、落ち着いた親父の声が加わった。
「そうよね。明日まで、待ってみましょう。明日になっても、帰ってこなかったら、警察に……」

母さんは、ものすごく俺のことを心配していた。そんな母さんを見ていたら、何だか胸がチクンと痛んだ。

俺は、しばらく猫の生活を楽しもうと思っていた。だけど、母さんのそんな顔を見たら、そうはいかなくなった。
明日の朝、もしくは今日の夜にでも、人間に戻らないと。でも、それまでは猫の生活を満喫するぞ! 
とりあえず、飯を食いたいんだけど、親父と姉さんが出かけるまでどこかに隠れているしかないな。
そういえば、俺の部屋に何かお菓子があったはず。よし、さっそく部屋に向かおうと、思って椅子の下から出ると、 ちょうどトイレに行こうとしていた姉さんと目があった。姉さんは驚いた顔をしていた。

「ちょっと! お父さん! お母さん! 家の中に猫がいるよ!!」
「猫だって!!?」

姉さんの声で、猫嫌いな親父が鬼の形相で飛び出してきた。その形相に、俺は一目散に階段を駆け下り、外へと逃げた。
親父は後を追ってこなかったけど、俺は一日ひもじい思いをすることになった。
こんなにひもじい思いをするなら、人間に戻りたいと思った。心から、思ったのに戻れなかったけど。
結局、俺はそのひもじさに負け、猫の生活を楽しむどころか、ひもじさを紛らわすために車の下で一日中寝ていた。もし、起きた時人間に戻っていたらいいな。でも、車の下だから、出るのが大変かな。



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