猫の就活生


朝、俺は人間には戻っていなかった。
相変わらずの猫のままだったけど、近くのアパートに住んでいる女子大生が食パンと牛乳をくれた。
昨日は、何も食べられなかったから、物凄く美味しく感じた。 ただの、食パンと牛乳なのに。ひもじい思いをしなければ、猫の生活も結構いいかもしれない。
だけど、ちょっと家族が心配かな。昨日の話だと、警察に連絡するとか言っていたし。うーん。ちゃんと家には戻るつもりなのに。
でも、また親父にでも、見つかったらあれだし、今は猫の生活を楽しもう。とりあえず、駅の方にでも、行ってみようかな?
駅に行くのには、いつもより時間がかかった。きっと、歩幅がせまくなったせいだと思う。
でも、ただ座っているだけなのに、皆にチヤホヤされるし、可愛いとか言われてちょっと良い気分。
子供の頃に戻ったような気分。俺の子供の頃がどんな感じだったかは、忘れちゃったけど。きっとこんな感じに違いない。
そんなことを考えながら、皆に可愛がられてきたら、リクルートスーツに身を包んだ君島さんを見かけた。

「君島さん!」

俺は、思わず君島さんに声をかけたけど、きっと君島さんには、「にゃー」としか聞こえていないだろう。
だって、今の俺は猫だもん。だけど、君島さんはこっちを向いてくれた。

「猫ちゃん。お腹減っているの? でも、私何も持ってないんだ」

君島さんは、俺の近くにきて、頭を撫でてくれた。君島さん、今日も就職活動なんだ。就職活動が嫌だとか、辛いと思ったことはないのだろうか? 
君島さんは、もう一度俺のことを見て、改札を通っていった。 俺は、そんな君島さんを見送った。君島さんの乗った電車が、発車し、見えなくなるまで見送っていた。



人通りも、電車に乗る人も少なくなり、チヤオヤされなくなった俺は、結局家に戻ってきていた。
自転車もバイクもないから、姉さんも親父も、仕事にいったんだろう。
でも、何時かはわからないや。どこかに時計でもあれば、時間がわかるんだけどな。

「おーい、猫くーん」

家の周りをうろうろしていると、俺を猫にした張本人タマがどこからか、やってきた。
しかも、何故か空を飛んでいる。羽も翼もないのに。猫の神様は空飛べるのか? てか、本当に神様なのか?

「猫じゃない。幸大って名前がある」

タマは俺の前に降りた。昨日と同じように笑ったけど、何故か右手にケータイを持っている。
黒の。何か、どこかでみた……って、これ俺のじゃんか? 手裏剣のストラップに、スライド式。黒っていったら俺のケータイだろう。

「じゃあ、幸大。今日も部屋にいるかと思ったのに、いないからびっくりしたよー。それより、何か鳴っていたよ」

タマはひとつため息をつき、ケータイを俺に渡してきた。って、やっぱり俺のケータイか。
でも、渡されても、どうやって受け取ればいいんだ? こんな手じゃ受け取れないぞ。

「人のケータイ勝手に……。それに、この手じゃ渡されても、持てないしどうしろってんだよ?」

俺は、猫の手をタマに見せた。こんな手じゃ、何も出来ない。掴むことさえできない。
よく、猫の手をかりたいっていうけど、こんな手借りても邪魔になるだけじゃ……。
地面にケータイを置くって、手もあるけど、それじゃあケータイが汚れないか? 汚れるっていうか、傷つかないだろうか。
運悪く来た車とかに潰されるとか、なんかありそうで怖い。

「ママ、見て! あの猫、変なことやってる!」

俺が、そうタマに言っていると、どこからか急に子供が声にして、いつのまにか俺の後ろに立っていた。
ちょっと、びっくりした。変なことっていうのは、タマに手を見せていることか? この子には、タマが見えていないのか? だって、 普通なら俺の行動よりタマに驚くはず。

「猫ちゃーん」

子供はいきなり、俺に触ろうとしてきた。しかも、上から。
俺は、かなりびっくりして、しかも叩かれるのかとも思って、気付いたらそいつから逃げていた。

「猫ちゃん、待ってよー」
「こら! ひっかかれるわよ!」

それでも、まだ追いかけてくる子供に、母親が注意した。
俺は、いつのまにか、背中を丸くさせ、シャーっと威嚇をしていたみたい。
うーん、何だか俺も昔に似たようなことをしたことがあるぞ。猫も楽じゃないんだな。
子供は名残惜しそうに俺に手を振ると、親子は去って行った。

「そんなことより、昨日人間に戻りたいって思ったのに、戻れなかったぞ!」

親子の姿が見えなくなると、俺はタマに悪態をついた。
だって、こいつ人間に戻りたいって思えば戻れるようになるって言っていたんだ。なのに、戻れなかったんだ!

「嫌だなぁー。ボクは、 心から戻りたいって思わなきゃ人間には戻れないって言ったでしょ? 戻れてないってことは、 それは表面的な思いだってこと。それより、今見てみたんだけど、メールが来ていたからケータイ鳴っていたみたいだよ」

タマは、そう言い、スライド式のケータイをいつのまにかスライドさせ、いじっていた。

「こら! 人のケータイを勝手にいじるな! 地面に置け! 俺が見るから!」

このさい汚れるとか傷つくとかは気にしない。壊れなきゃいい。車とかきっとこないことを願おう。
てか、一体、誰かのメールだろう? タマはぶーぶーと文句を言っていたけど、地面にケータイを置いて、横から覗き見た。
受信ボックスを開き、メールをチェックする。
猫の手で操作するのは、ものすごく大変でやりにくいけど、送信者を見たらそんなのどうでもよくなった。
メールは、何と君島さんからだった! 俺は、思わず心の中でガッツポーズをして、小躍りを踊った。
しかも、君島さんのメールは今朝来たものだ。内容は、就職活動のことと、夢はあるかというものだ。

「この子、何か悩んでいるのかもねー?」

君島さんのメールをタマが覗き見ながら言った。
普段の俺なら、メールを覗き見られて怒るところだけど、何故か怒る気になれず、逆に問うた。

「悩んでいるって?」

タマの奴、人を猫に出来ると思ったら、そんなこともわかるのか? そんなことを考えながら、タマのことを見ていると、 タマはにっこり笑った。

「ボク、普段は神社の中に住んでいるんだけど、人の心が読めるんだよ。 だから、文面から悩んでいるかどうかなんて、すぐにわかるんだ。幸大の考えていることとかも、 全部わかるんだよ。あ、でも複雑な心の人は読めないかも」

へー、神様って凄いんだなぁーって思っている場合じゃないよな。心が読めるって……。
まぁ、俺を猫に変えるくらいだし、不思議なことはたくさんあるんだな。もう、そうやって納得するしかないな。

「よれより、君島さんの悩みだよね? 実際に会ったことないから、よくはわからないけど……。 夢があるけど、就職しなければならないってことで悩んでいるんじゃないのかな? つまり、夢と就職どっちを取るかで……」

タマは腕を組み、首を傾げた。だけど、すぐに何かを思いついた顔をした。

「そうだ! 幸大、家に行ってみればいいんだよ! 何かわかるかもしれないよ?」

なるほど! その手があったか。君島さんに会えるかもしれないし、悩みもわかる。 タマは凄く、いい案だとでもいいたそうな顔をしているけど、問題がある。

「俺、家知らないよ」
「大丈夫。ボク、わかるよ。神様にわからないことはないのだー」

俺がそう言うと、タマは腰に手をあて、えっへんと威張った。
確かに、タマは神様だけど、ずいぶん胡散臭い神様だよな。おっと、タマがこっちを睨んでいる。どうやら、心が読まれていたようだ。



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