小説家と少年


俺は少年を家まで連れてきた。
まさか、こんな事になるとは…。
部屋を少し片付けておけばよかった。

「名前は?」

家に帰ると、俺はまず少年にそう言った。
俺は冷蔵庫を開け、何か飲み物がないか探した。
飲み物は…この空っぽの冷蔵庫に唯一入っていた飲み物は牛乳だった。

「…貴一(きいち)」

少年は俺以外の奴に自分の名前を聞かれたくないかのような感じで小声で呟いた。
明るいところにくるとよくわかる。
貴一の顔には、やはりいくつものアザや傷があった。

「貴一か。俺は青葉。飲み物はホットミルクでいいか?」

それしかないんだけどな。
俺がそう言うと、貴一はコクンと頷き背負っているランドセルを置き、空いている所に座った。
隣の部屋からにぎやかな声がする。
俺は牛乳をカップに注ぎ、電子レンジで暖めると、そのカップを貴一に渡した。

「熱いから気をつけろよ」
「…ありがとう」

貴一はカップを受け取ると、やはり小声でそう言った。
少しだけだがカップがいつもより大きく見えた。

「お前、何年生だ?」

俺はそのへんの椅子に座りながら問うた。
貴一は少し熱そうにホットミルクを飲んでいた。

「3年生。この間こっちに引っ越してきたの」

貴一はいったんホットミルクから目を離し、俺を見た。
目があった。

「そのアザや傷はどうしたんだ? 学校で喧嘩でもあったのか?」

俺はふと頭に思い浮かんだ言葉をそのまま声にした。
声にした後で後悔した。
貴一は、苦しそうに辛そうに俯き、何も言わなかった。


それからどのくらいの時間がたっただろうか。
部屋の前の廊下を誰かが走る音が聞こえた。そして、すぐにドアをいきよいよく開ける音がした。
どうやら隣の住人の1人が帰ってきたらしい。
その人はいきなり怒鳴りはじめた。女性の声だった。
それともうひとつ怒鳴り声が聞こえた。今度は男性の声だ。
酒に酔った声だ。
その怒鳴りあいをしてる中、何人かの足音が階段の方へと廊下を走っていった。

「…ホットミルク、ありがとうございます」

貴一はそう言い、飲み終わったカップをテーブルの上に置いた。
そしてランドセルを背負い、

「色々ありがとうございます。僕、そろそろ帰ります…」

と軽く一礼をし、俺の部屋を出た。
この時貴一がどんな顔をしていたのかは俺にはわからない。




それから暫くした後だ。
貴一が最近隣の部屋に引っ越してきた天沼さんの息子だと知ったのは。



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